2009年8月19日 (水)

◆カフカ
M・ブランショ『カフカ論』(筑摩叢書、1968)所収の「木の橋」("Le pont de bois" 1964)から抜書き。

だがその場合、それ自身に対する注釈とも言うべき近代の諸著作はどういうことになるのだろう? マルト・ロベールによれば、これらの著作は、ただ単にそれらが直接現わしているものばかりでなく、他の書物へ、もっと正確に言えばすべての書物がそこから生れ出るあの無名の止むことのない執拗な運動へと人々を導くのだが。このように内部から注釈を加えられたこれらの作品は(たとえば『ドン・キホーテ』がそうだ、これはただ単に一篇の叙事的な詩篇なのではなく、いっさいの叙事詩のくりかえしであり、それゆえにまた、それ自身に対するくりかえしであり、――嘲弄なのである)、物語ることによっておのれ自身をも二次的に物語るという事実を通して、他のいっさいの注釈を、困難なものに、不可能なものに、あるいは空しいものにしてしまう危険があるのではないだろうか(これが危険であるとすればであって、これはむしろ幸運なのである)? そうなのだ、このような作品の増殖作用は、批評に対して或る終末をもたらすのではないだろうか? このような問に対する答は、安心すべきものである。つまり、事情は正反対なのだ。或る作品が注釈されればされるほど、それは、さらに多くの注釈を呼び求める。作品が、その中心に対して、より多くの「反響関係」(重複関係)を保てば保つほど、この二重性によって、その作品はいっそう謎めいたものになる。これが『ドン・キホーテ』の場合である。また、『城』の場合は、もっと明白なかたちでそうである。そこには――このことを思い起さぬ者がいるだろうか、そして自分も何かを付け加えたことに罪を覚えぬ者がいるだろうか?――溢れ出んばかりの多くの説明があり、気ちがい沙汰と思われるほど多くの解釈があり、物狂おしいほど多くの註解がある。しかもそれらは、神学的、哲学的、社会学的、政治的、伝記的等、無数の立場からなされており、比喩的、象徴的、構造的、さらには――何でもあるのだ――文学的といった無数の分析形式が見られるのである。そこには無数の鍵があるのだが、それらはどれも、それを作った人間にしか使えないのであり、一つの扉をあけるが、それはただ、他のいくつかの扉を閉じるためなのである。このような錯乱はなぜ生ずるのか? なぜ、読む行為が、おのれが読むものに満足せず、絶えずそれを別のテキストに置きかえ、またそのテキストはテキストで、さらに別のテキストを呼び起こすといったことが起るのだろうか?
マルト・ロベールによれば、それは、フランツ・カフカの書物においても、ミゲル・デ・セルバンテスの書物と同じようなことが起っているからである。それは、何か或る直接的な物語によって構成されているわけではなく、その物語と、同じタイプの他のあらゆる物語との対照比較によって構成されているのであり、これらの物語は、時代も起源も意味もスタイルも千差万別であるが、これらが、当の物語もまたそこに位置を占めたいとねがっている文学的領域をあらかじめ占有しているのだ。換言すれば、例の測量師は、想像的で今なお処女地であるような地域を測量するのではなく、文学の広大な空間を測量するのである。彼は、この空間において彼に先立つあらゆる主人公たちを模倣せざるをえない――それゆえにまた、彼らを反映せざるをえない――かくして、『城』はもはやただ単に、ひとりの孤独な作家の他にかけがえのない作品ではなく、千年にわたる或る事件に関するあらゆる陳述が並列し錯綜し時にははっきりと区別されたかたちで読みとられる羊皮紙のごときものである。かくしてこれは、世界図書館の総体とも要約とも言うべきものであって、そこではKが、『オデュッセイア』の反復者として、また『イーリアス』の後継者として、さまざまな叙事詩の叙事詩を試練にかけ、この叙事詩とともに見事なホメーロス的秩序を、つまりオリュンポス的真理を試練にかけるというその真の役割を見出すまでに、或るときは風俗小説の人物となり(特権階級の横暴から弱い人々を守る心ひろい英雄だ)、また或るときは、お伽噺の、もっと正確に言えば、アーサー王の武勲詩の新しい一群中の人物となるのが見られるのである。(pp. 202-204)

次のことははっきり認めておこう。つまり、測量師が、間接的な眼に見えぬかたちでたたかっているのは、ただ単に、城や村が体現する権力だけではなく、彼は、それらを通して、それらの背後にある、あの書物という最高法廷ともたたかっている。口頭や文書での註解を通しての彼の接近が形作るその無限の様相とたたかっている。ところで、これはわれわれが充分によく承知していることだが、この書物という空間は、カフカにとっては、彼が属している伝統という点から見て、それも特に、彼がその物語を書いていたあの苦悩にあふれた時代においては、神聖であると同時に疑わしくまた忘れ去られた空間であり、際限のない問いや研究や探求にあふれた空間である。なぜなら、これこそ、数千年来のユダヤ人の生活を貫くよこいとにほかならないからである。真理や、生の掟を求めたときに出会うのが世界ではなく一冊の書物であり、一冊の書物の持つ神秘と命令であるような世界があるとすれば、それはまさしくユダヤ教であって、ユダヤ教においては、いっさいのはじまりに、ことばと註解との力が確立されており、そこではすべてがひとつのテキストから発しまたそこへ戻る。これは、かずかずの書物のおどろくべき連なりがその中に巻きこまれている唯一冊の書物のようなものであり、ただ単に全世界の書物をふくむばかりではなく全世界にかかわるものであり全世界よりさらに広大で深く謎めいた図書館のようなものだ。カフカがおかれたような状況におかれ、カフカが抱いていたような関心を抱いた作家は、身をかくそうと身をさらそうと、次のような問いをのがれることは出来ない。何の委託も受けていない文学者として、どのようにすれば彼は、書かれたものの、閉じられた――聖化された――世界に入りこみうるのか? 何の権限もない作者として、どのようにすれば彼は、時経た言葉でありおそろしく時経た言葉であるあの別の言葉に、それが姿を消したと覚しい聖櫃の底に身をかくしたままでありながらいっさいの事物を蔽いとりこみ包むあの言葉に、厳密に個人的なひとつの言葉を付け加えようなどとのぞみうるのか? しかもまた、この別の言葉は無限の言葉であり、つねに、いっさいをあらかじめ語ってしまっており、それが口にされてしまったあとは、黙々たる受託者としてこの言葉を守る人々には、この言葉をくりかえしながらそれを見張る仕事しか残されていないのだ。また、その他の人々には、それを解釈しながらこの言葉に耳をすます仕事しか残されていないのである。作家として、彼は、書かれたものの源泉までおもむかねばならぬ――これはどうにもならぬ要請なのだ――、なぜなら、彼は、この根源的な言葉と何らかの直接的な関係を結びえたときに、はじめて書き始めうるからである。しかし、この高い領域に近づくためには、彼には、すでに語っているということ以外にはいかなる手段もない。つまり、何の伝統もなく何の根拠もないこの言わば早なりの言葉を通して、危険をおかして書き、言葉とその意味とのあいだの彼にはどうにも入りこみえぬ関係をさらに暗く謎めいたものにすること以外には、いかなる手段もない。(pp. 205-207)

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2009年6月17日 (水)

◆theoria - theoros
ハンス=ゲオルク・ガダマー『真理と方法Ⅰ』(法政大学出版局、1986)から。

祝祭は祝われるからこそ存在する。だからといって、祝祭は主観的な性格のものであって、祝祭を行なうひとびとの主観性のなかにのみその存在をもつというのではない。むしろ祝祭が祝われるのは、祝祭があるからにほかならない。これは先に述べた演劇にもあてはまることであった。すなわち、演劇は観客のために上演されなければならないが、その存在は、決して観客それぞれがもつさまざまな体験の交点であるだけではない。むしろそれとは反対に、観客の存在の方が、自分で〈その場にのぞむ Dabeisein〉ことによって規定されている。その場にのぞむことは、同時にその場にあるなにか自分とは他のことにただ立ち会っているという以上の意味をもっている。その場にのぞむとは、参与することである。あることが起きていたとき、その場にのぞんでいたものは、それが本来どのようなものであったかよくわかっている。その場にのぞむということが、主観的態度のひとつの様態、すなわち、〈ことがらに携わっている Bei-der-Sache-sein〉ことをも意味するのは、あくまでも派生的な意味である。目を凝らして動きを見る(Zuschauen)のは、参与の純粋な様態である。その点では、神聖な合一(sakrale Kommunion)の概念を思い起こせばよいであろう。というのは、ギリシア語のテオーリア(Theoria)の本来の概念には、この神聖な合一ということが基本となっているからである。テオーロス(Theoros)とは、周知のように、祝祭のための使節団の参加者を意味する。ある祝祭のための使節団に参加するものは、その場にのぞむということ以外の資格や役割はもたない。したがって、テオーロスは、この語の本来の意味において目を凝らして見るひとを指し、その場にのぞむことによって祝祭儀式に参与し、またそうすることによって祭式上の法的特権、例えば自己の不可侵性を獲得するのである。(pp. 179-180)
そういやこれはまるで、パゾリーニの『テオレマ』のために書かれたかのような文章ですね。

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2009年3月30日 (月)

◆トゥールミン
牛島信明『ドン・キホーテの旅―神に抗う遍歴の騎士』(中公新書、2002)から抜書き:

卓越した思想史家スティーヴン・トゥールミンは名著『コスモポリス―近代の隠れた問題』(邦題『近代とは何か』)においてヨーロッパの近代を論じ、三十年戦争(1618-48年)を境に、その前後で、近代の性格が一変していることを強調している。すなわち、十六世紀の「ルネサンス=人文主義的近代」(エラスムス、ラブレー、シェイクスピア、モンテーニュ、ベーコンら)と十七世紀の「合理主義的近代」(ガリレオ・ガリレイ、デカルト、ニュートン、ライプニッツら)の相違である。
 トゥールミンによれば、三十年戦争という宗教的対立がもたらした政治的、社会的カオスに直面することによって安定と確実性が追求され、その結果生み出されたのが「合理主義的近代」であるという。したがって、十七世紀の合理主義者が体系的論述、普遍的な論理、超時代的な原理を求めたのにたいして、十六世紀の人文主義者は寛容の精神を旨として、個別的なもの、ローカルな多様性、その場限りのもの、そして柔軟な適応能力を重視し、尊重していたというわけである。
 かくして、ヨーロッパの近代は明らかに異なる二つの出発点を持つことになる。ひとつは古典文献に基づく人文主義的な出発点であり、いまひとつは十七世紀の自然科学・哲学に基づくそれである。そして後者から出た合理主義的な価値観、あるいは普遍的な理性がその後の西欧を支配しつづけることになったが、やっと1970年前後になって人びとは、「確実性の追求」を断念して「ルネサンス=人文主義」に立ち返りはじめたと考えるトゥールミンは、十七世紀以来三○○年にわたって軽視されてきた個別的なもの、ローカルなもの、その場限りのものの再評価を求め、そうすることによって「合理主義的コスモポリス」に代わる「エコロジカルなコスモポリス」の構築をめざすべきであると唱える。(pp. 197-199)

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